満州国と大日本蹴球協会
読売新聞の記事1933年10月
『蹴球 第6号 1933年10月』(p.4 4/18コマ目)
“満州国の問題
我が友邦満州国は建国一年、体育方面にもかなり進展をこころみてゐる。我協会も同国の蹴球発展には之に積極的援助を惜まざる所であったが先頃満州国文教部茂木善作氏、久保田定二氏、趙泰福氏、黒田善八、奥勝久、巴楚齢氏来朝ありたるに付大阪に於て関西協会の神田副会長、田辺主事、前田、斎藤、永野、奥野、長井各理事永井委員面談し種々会談をとげた。当日の会談の概要は左の通りである。
一、 満州国体育協会は昨年五月創立して日尚浅きも一般人士愛好の点よりして足球(蹴球)を国技とする事に決議し「日満提契は蹴球より」の実現を期す。
ニ、 両国チームの来訪は互に必ず大日本蹴球協会及満州国体育協会の手を通ずる事。
右通知なきチームの来訪は両協会の認可なきものと認む。
三、 チーム交換を希望す。
日本チームの満州国訪問は技術指導の為之を歓迎す。
満州国チームの招待を希望す。
来朝の時期は十月十一月頃が好都合。
四、 F・I・F・Aに加盟希望に付日本の紹介尽力を希望す。
五、 全国中等学校蹴球大会優勝者と全満州国中等学校優勝者との試合を希望す。
六、 満州国へ技術指導者の派遣を熱望す。
七、 満州国足球規則は大日本蹴球協会制定のものを基礎とし競技規則の規一をはかる事。”