成人病
成人という言葉は、聖書の中にはありませんが、働き人とか、労働者として出てきます。その外に、聖書の中で、人物として成人が登場します。先ず、最初の成人はなんといってもアダムです。食べてはならない木の実を食べてしまったアダムは、顔に汗を流して糧を得なければならなくなってしまいました。(創世記四章一九節)労働者の最初の人です。幸い彼は、何ら大きな病気にかからないで、九三〇才まで長生きしました。顔の汗が良かったのでしょうか。
これとは逆に、病気だらけの成人はヨブです。皮膚の腫瘍は、良性の神経線維腫症のようですが、病理医のいなかった当時ですので、正確な診断は下せません。彼の病気は、ヨブが友人のためのとりなしの祈りをした後で、すっかり治ってしまいました。完璧な治療法です。
二人は両極端ですが、現代の成人には数知れない病気が待ち構えています。その筆頭は癌。毎年健康診断でチェックしていて、小さいうちに見つかれば手術で取り除けます。少なくとも半年に一回は、胃と肺の検査を受けて下さい。癌になるような危険な食べ物は避けて、癌を防ぐビタミンや黄緑食野菜で乗り切りましょう。次は脳血管障害です。これは遺伝的な要素が多いようですので、両親の体の中まで知らなくてはなりません。血圧が高いか低いかだけでなく、血管の動脈硬化があるかないかの問題です。動脈硬化は食事の管理でなんとか防げますが、長い年月続ける必要があります。炭水化物や脂質を多くとると、余ったコレステロールが動脈の壁に溜まって、ひび割れのゴムホースみたいになってしまいます。そうなったら、いつでも天国にいけます。野菜はこれを防ぐ絶好の食べ物です。
三番目は心臓病。欧米人に多かったこの病気が、日本人にまで押し寄せてきたのは、生活習慣が欧米化したため、と考えるのは自然でしょう。脂質の多い食べ物、そして現代の社会では避けられないストレス。規則正しい心臓のリズムは、不規則なリズムに弱いのです。安息日を心臓のために作ってあげて下さい。時には胸キュンも必要ですが、あんまり若くない貴方ですので、ほどほどが肝心です。肝臓もあまり傷め過ぎないようにお願いします。
成人の皆様、汗と祈りの規則正しい生活で、老い難く、癌成り難い人生を送って下さい。万が一病気になってしまっら「「私たちは幸いを神から幸を受けるだから、わざわいをも受けなければならないではないか。(ヨブ記二章十一節)」というヨブの言葉はちょっと過酷でしょうか?
菜食主義
ダニエル、ハナニア、ミシャエル、アザリヤ(バビロン名はベルテシャザル、シヤデラク、メシャク、アベデネゴ)は王の食べていた食事を拒否して、野菜と水の菜食主義を貫きました。その結果は「十日の終りになると、彼らの顔色は、王の食ベルごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。(ダニエル書一章一五節)」のでした。
これは彼らが主義としての菜食を貫いていたのではなく、バビロン王の食べ物と飲む酒で自分を汚すまいと、心に決めたからです。その昔メルボルンオリンピックで優勝候補だった日本の山中選手は、オ―ストラリアのロ―ズ選手に千五百m自由形競泳で敗れました。ロ―ズ選手は菜食主義だったのです。肉で馬力をつけなければ勝てない、と考えられていたこの長いレ―スに、野菜が勝ちました。バビロンのその昔から現代に至るまで、野菜は肉に勝つ、というのは決まっているようですね。
ところで、もうひとつ決定的な、そして重大な違いがあります。癌の発生率です。ニュ―ヨ―クの菜食主義者、セブンスディアドベンティストの人たちは肉食のニュ―ヨ―カ―に比較して、癌の発生が低くなっています。乳癌、大腸癌はもとより、肺癌の発生も低いのです。黄緑色野菜を多くとっている人に癌の少ないことも報告されています。
野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。(箴言一五章一七節)どうも肉食動物は戦いが好きなようです。ひょっとしたら性格も食べ物で決まってくるのではないでしょうか。
アルコ-ル依存症
最近日本でもアルコ-ル依存症(通称アルコ-ル中毒)が増えているようです。五時を過ぎると飲みたくなる、縄暖簾の前で躊躇する、てなことがあったらもうアルコ-ル依存症の始まりです。だんだん進んでくると、朝から飲みだしたり、アルコ-ルを断つことができなくなります。
聖書のなかにもアルコ-ルをとりまく話が沢山出てきます。ノアは農夫となり、ぶどうをつくりはじめ、さらに作ったぶどう酒をのんで酔い、天幕の中で裸で寝ていました。
ハムはそれをみて兄たちに告げ口をしました。兄たちはノアの裸をみずに着物を着せました。しかし、着物を着せなかったハムはのろわれたため、ハムの子孫カナン人の苦悩が始まりました。(創世記九章二〇節-二七節) 酒は思慮を失わせる(ホセア書四章一一節)、放蕩がある(エペソ五章一八節)と厳しい聖書の言葉は続きます。祭司や王に対しては禁酒を勧め(レビ記十章九節、箴言三一章四節-五節)、監督には酒飲みでない人を(Iテモテ三章三節)、執事には大酒飲みではない人を(Iテモテ三章八節)選ぶようにとの記載がみられます。
しかし、良きサマリア人は強盗どもに襲われて半殺しにあったひとに近寄り、オリ-ブ油とぶどう酒で彼の傷を手当しました。彼は薬としての、ぶどう酒を持っていたのでしょう。(ルカ十章三四節)ちょうど、セントバーナード犬がアルプスの雪の中で迷った人を救うためにブランデーを首にさげていたのと同じように。
パウロも胃のために少量のぶどう酒を用いなさい、とテモテに手紙を書いています(Iテモテ五章二三節)。
アルコ-ルは血液の循環をよくしたり、ストレスを解消したりしますが(箴言三一章六節)、度を越すと肝臓の脂肪変性や、小脳の萎縮、さらに心臓の筋肉を痛めつける心筋症の原因にもなります。自分の体だけなハンセン病いのですが人に危害を加えることになったらそれこそ、「酒に酔うものは....神の国を相続することができません。(Iコリント六章一〇節)」になってしまいます。
長血
「長血(マルコ五章二五節)が今の何病に当たるかは不明。」と聖書辞典(いのちのことば社)は述べています。ギリシャ語ではルセイ.アイマトス(ρυσειαιματοs)で血が流れる病気という意味です。
血が流れる病気の代表は血友病でしょう。しかし血友病は男性の病気で女性は保因者にしかなりません。ロシアのロマノフ王朝のアナスタ-シャ王女が、血友病の保因者の可能性があり、染色体を調べれば本当のアナスターシャが決められたのに、という話は法医学では有名なことです。出血しやすい白血病も十二年間という長い経過をとりません。
マルコ五章でキリストの衣にふれて長血を癒してもらったご婦人は、あまり若いとはいえません。ギュネ-(γυνη)という言葉からも、十二年も患っているということからしても。しかもますます悪くなる一方だったということから、成人の後発症する女性の病気の可能性が強く、出血性メトロパチ-、子宮内膜腺筋症、子宮筋腫あるいは子宮癌のどれかでしょう。
「ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。(マルコ五章二九節)」と書かれていることから、子宮内膜腺筋症や子宮癌、子宮筋腫ではないと思われます。なぜなら、これらの病気はすぐに治ったことを身に感じることができないからです。従って、卵胞ホルモンの異常による出血性メトロパチーが予想されます。女性ホルモンは精神的な要素に左右されやすいことから、主イエスのみ衣にさわって癒される可能性は十分に考えられます。
閉塞性動脈硬化症
予見者ハナニに対して怒りを発したユダの王アサは、両足とも病気にかかり、彼の病は重かった。(Ⅱ歴代誌一六章一二節)昭和の喜劇王、エノケンが悩んだ病気でもある、閉塞性動脈硬化症だと思われます。
血管が古くなったゴムホースのように硬くなり、弾力性がなくなってきます。血管の内腔にある内皮細胞が隣の細胞との接着が弱くなって窓があき、血液の中の脂質が血管の壁の中に入っていき、そこにたまってしまう。この窓はアサ王のように激しい怒りをいだいたり、ストレス、高脂血症、高血圧、タバコなどによつて、開き方が大きくなったり、いろんな所にできたりします。
こうして出来た動脈硬化に血栓がつくと、その先に血液がいかなくなって酸素不足から組織の死に至ります。足の先の壊疽です。血栓を取り除いたり、バイパスを作ったりして治ることもありますが、ひどくなると足を切断なんていやですよね。足切りは大学入試だけでなく、激しい怒り、タバコやストレスでもおきるのです。
脳梗塞
神経は銀色に光っています。工作機械に手を挟まれたM氏の左手中指は銀色の神経がむきだしでした。神経を繋ぎ、血管を結び、出血を止め、皮膚を縫い合わせ、手術は終わりました。それから二カ月彼の指の感覚が出はじめ、少しづつ動きだしました。完全に元に戻る事は期待出来ませんが、指は腐らずについたのです。
いったんとぎれた神経でも早いうちに繋げば電流が通じることも稀ではありません。脳硬塞も脳の神経細胞にいく栄養血管が詰まって、そこの神経細胞が死んでしまう病気です。聖書の中の中風というのは脳出血の後遺症か、あるいは脳硬塞による四肢麻痺でしょう。(マタイ九章二節、ルカ五章一八節、使徒九章三三節)どちらにせよ電流のとだえた神経を元に戻すことは、現在の医学でも容易なことではありません。しかしまさしく奇蹟です。動けない人に三つの動詞を使って主イエスは命じました。「起きなさい。寝床をたたんで家に帰りなさい」四肢麻痺の人が起きて、床を取りあげて家に帰ったのです。ここのルカの記載では、「神をあがめながら」ですから、結局四つの動詞が使われました。(ルカ五章二五節)中風が罪の結果であると見なしていた律法学者たちにとっては、さぞかし驚異だったでしょう。罪を取り除くことのできる神しか、この病気は治せないのですから。
ペテロもルダという小さな村で、八年間も床についていたアイネヤ氏の中風を癒しました。(使徒九章三三節)ルダはエルサレムからヨッパへ向かう途中の村で、ユダヤとサマリヤの中間点です。地のはてまで福音を述べ伝えるための最初の拠点で、この奇蹟がなされ、多くの村人が主に帰依しました。