ある男性の死
丘の上で男の死体が発見された。死後約3時間、両手両足の貫通創、表皮の挫滅を伴う円形の傷で釘のようなもので貫通した刺傷と思われる。
更に左側腹部にも胸腔に達する刺傷があり、これには表皮の挫滅がなく、鋭利な刃物での皮膚貫通創で、心臓にまで達している。
胸腔内の水はすでに側腹部の刺傷から流れ出ていたと思われる。何故なら対側の胸腔には約500mlの漿液性の胸水が貯溜しており、腹腔にも2リットルの腹水が観察され、これらの水は低タンパク血症のための水腫、腔水症の結果であり、当然左の胸腔にも水が溜まっていたことが予想される。
頭部の皮膚にも多数の小さな刺傷が認められた。これは植物の刺によるものと考えられる。
心臓内の血液の凝固はなく、ショックによる死亡の所見に一致する。
その他、背部皮膚に細長い皮下出血を伴う皮膚挫傷が数十本あり、鞭のようなもので叩かれた傷痕と思われる。
なお、声帯には声帯水腫が見られ、死亡直前に大声をあげた結果と考えられる。
以上、検案の結果は、一.低タンパク血症による腔水症、二.無数の刺傷によるショック、である。
この青年の亡くなる前の行動は少し奇妙で、4日前の日曜日に町に入ってきた。そして神殿の庭で露店を開いていた商店をことごとく壊してしまい、町を出て、隣の村に一泊し、次の日、月曜日に再び町にやって来た。そして町の近くにある小高い山に登り、再び日曜日に泊まった村に行ってそこにまた宿泊する。火曜日には町で仲間の12人と食事を共にした。パンとぶどう酒という質素な晩餐だったが、その仲間の一人は後で剣を振るうことが出来るくらい元気だったので、充分な食事だったのだろう。火曜日の夜は町の外の小高い丘で祈りの時をもつ。徹夜祈祷会だ。そこで兵隊に捕らえられ、水曜日の朝、裁判にかけられる。裁判は地裁から高裁に移され、そこで判決が下り、金曜日には鞭で打たれ、そして釘で手足を木に打ちつけられ丘の上にさらされた。だから三日間はなにも口にしていない可能性がある。
酢になりつつあるぶどう酒を差し出さたが、もうその時は飲むことが出来ない。木の上で大声で叫んだあと、息を引き取った。亡くなったかどうかの確認の為、兵士の一人が槍で脇腹をさしたところ、傷痕から水と血が流れ出た。
身体所見:
一.両側手掌から手背にかけての貫通傷、1cm、3cm、3cmの辺を持つ三角形で、その1cmの一辺には傷口に酸化鉄の微粒子が付着している。
二.両側足背から足底にかけての貫通傷の性質は、一.と同じ。
三.左側腹部の皮膚刺傷、横隔膜を貫通し、胸腔にまで達する。
四.頭部皮膚の多数の小刺傷、傷口は円形で、表皮は真皮側に陥入し、真皮には血管の拡張とリンパ球浸潤を認める。
五.背部皮膚の数本の2x30cmの圧挫傷、皮下組織の結合組織内の出血。
六.右胸腔多量の胸水と腹水貯溜。
七.心臓内血液凝血塊なし。
八.低タンパク血症。
九.胃体部小弯に出血性胃潰瘍、(Ul-II, Dieulafoy) 下部消化管には、粘膜の点状出血が散在しており、内容は血性。
検案
一.両側手掌の貫通傷は太い錆のついた釘で木に打ちつけられ時のもので、受傷後約一日たっていると思われ、指側の傷の幅が広く、腕側は細いことから体重が傷にかけられた可能性がある。
さらに両側足背から足底にかけての貫通傷は下肢の方向に幅が広く指側は細いことから、ここにも体重がかけられていたと考えられる。
二.左側腹部の皮膚刺傷は側腹部から胃を貫き、胸腔にまで達しており、胃内容及び左胸腔の内容物はほとんど流れ出たと思われるが、一部は背側に残存していた。この傷に関連すると思われる心筋壁の刺傷も認められ、左心室に達しており、心臓内の血液も流れ出たと考えられる。
左胸腔にも右胸腔内と同様の水が溜まっていたと考えられ、声門水腫と多量の右胸水および腹水は低タンパク血症をおこしていた可能性を示唆する。なお、心臓内に血液凝血塊がなかったことは、ショックによる死亡の結果であろう。
三.頭部皮膚の多数の小刺傷は、傷の周囲にリンパ球浸潤、充血等の反応が見られ、植物の刺に対する反応と考えられ、生前にかぶせられた茨の冠のためであろう。
四.背部皮膚の数本の圧挫傷は細長い棒あるいは鞭のようなもので打たれた傷である。
五.下肢の骨折はなく、肺内に脂肪栓塞は認められない。尚、同時に同じ場所で亡くなった二人の男の死体には、両足下肢の脛骨と腓骨の骨折が認められた。
死亡の原因
イ。直接死因:呼吸停止。
ロ。イの原因:出血性胃潰瘍による大量の消化管内出血と、それによるショック
ハ。ロの原因:鞭打たれ、十字架に打ちつけられた傷と、過剰のストレス。
ニ。ハの原因:私の罪
BC5年12月25日生
AD30年4月7日死亡、33才男性。
1983年から4年余りお世話になった筑波学園教会で、礼拝後の教会学校成人科クラスを月に一回担当しました。医学と聖書というタイトルで30回近くお話したのですが、専門の話と異なり、準備が大変だったのをおぼえています。特にクラスの前一週間はいつも頭からこのことが離れずにいました。
幸い日本語ワープロを手に入れた時期でしたので、一回一回話の内容をまとめておくことができました。さらに、横須賀中央教会に移ってから教会の月刊誌コイノニアに「聖書は医学書」と題して、連載させていだだきました。学園教会の機関紙、筑波だよりの編集人である上野益夫氏や、筑波佳音の米倉安雄氏、そして横須賀中央教会の藤田修氏の原稿依頼がなかったら、この本は出来なかったと思います。また成人科クラスでのディスカッションも大変参考にさせていただきました。この機会に聖書を医学という方向から自分なりに調べることが出来たのも、懐かしい思い出です。この筑波学園教会の成人科クラスの時間は丁度会食の準備の時と重なっていましたので、出席出来なかった婦人会の方々からのご要望もあり、まとめて一冊の本に出来たらと考えていたのです。
いろいろな所からご批判を仰げば更に聖書が面白くなるのではないかとの期待もこめられています。独断と偏見が横行している内容だと思われますので、是非とも沢山のご批判をお聞かせ戴きたいと思っています。とくに医学は日進月歩ですので聖書の中の未だ判らない病気も、将来解明できると思っています。
最後にこの機会を与えて下さった、筑波学園教会の稲垣守臣先生はじめ、教会員の皆様、横須賀中央教会の岡村又男先生と教会員の皆様に厚くお礼致します。
参考図書
1:「キリンの首」フランシス・ヒッチング 渡辺政隆 樋口広芳訳、平凡社、1983
2:「ダーウィン再考」ノーマン・マクベス 長野敬、中村美子訳、草思社、1977
3: 聖書辞典、いのちのことば社
4: 新約ギリシヤ語辞典 岩隈直著、山本書店、1971
5:「人間はどこまで動物か」アドルフ・ポルトマン、岩波新書
6:「旧約聖書の医学」 W・エプシュタイン著、梶田昭訳、時空出版、1989
7:「優雅なアーモンド料理」、婦人画報社、1978
8:「昆虫のパンセ」池田清彦、青土社、1992