低体温
ダビデは年老いてその体温が下がってきました。(Ⅰ列王記一章一節)夜着を着ても暖まりません。一般に子供の体温は高く、高齢者のそれは低くなってきます。お年寄りがお孫さんと一緒に寝るのを喜ぶには、それなりの理由があったのです。湯たんぽがわりだったのでしょう。
ダビデにも一人の若いおとめ、アビシャグが付き沿いました。しかしダビデは彼女を知ることはありません。ソロモンの王位継承を阻むため、ソロモンの兄アドニヤがこのアビシャクを利用しようとしたのですが、もともとダビデの妻ではなかったのです。
老いて内分泌機能の衰えていたダビデと、ダビデに体温を奪われたアビシャグでは子孫を残すなとどいうことは論外です。
寒さに対して、動物はいろいろな防衛手段をもっています。大きく分けると神経系と内分泌系が、その働きに携わっています。特に甲状腺の役割は大きく、寒冷に晒されると下垂体が真っ先に甲状腺の機能を高めるホルモン、甲状腺刺激ホルモンを分泌し、さらに甲状腺は全身の機能を高めるホルモンを分泌します。
もっとも一番の司令は脳の視床下部あたりらしいのですが、ダビデのように、どうしても体が暖められなくなったということは、彼がすでに脳の視床下部あたりまで、老化していたことを示しているのではないでしょうか。
氷河期にマンモスが絶滅したのも、彼等が低温に対して適応がなかったためです。ところで、生物のある種が絶滅することは、ダ―ウィンの進化論では説明がつきません。佐渡のトキにしても、沖縄県西表島のイリオモテヤマネコにしても、絶滅してしまっては淘汰も、進化も起こらないからです。
ダ―ウィンの進化論は、ダーウィン自身、種の起源の序説で「不完全なもの」、「満足なものとはならない」、といっているように、あくまで論なのです。
リンツバッハさんは「老人の心臓は心筋梗塞や弁膜疾患、心伝導系の障害などたくさんの病気を持っているのが、特徴です。」と報告しました。心臓以外の臓器にも、お年寄りはいろいろな病気を持っていて、「死の陰の谷」の上で、綱渡りをしているようです。
最近はどこの国でも高齢者社会になってきていますが、いったい老人とは何才からいうのでしょう。西暦七〇一年の大宝律令では、六〇才、一九六三年の老人福祉法では、六五才、杜甫は「人生七〇古来稀なり」と歌い、七〇才が老人の始まりとしているようです。
聖書の中には老人の定義はありません。ただ白髪の人に対する起立尊敬を若者に要求しているだけです。(レビ記一九章三二節)一九五四年スティーグリッツさんは、七〇±一〇才が妥当だとしています。
「やれやれ、今年も何とか綱の上だ。」なんて思いはじめたら、あなたはもうご老人。
若い人の病気と比較すると、その症状が軽いため、病気が表面化しないことが多いのです。咳がでたら風邪ではなく、肺炎を考えなければなりません。若者ならなんでもない流感も、命取りになりますし、若い時代には打ち倒してきた結核菌に、その体をあずけてしまうのも老人です。それまで過ごした長い歳月は、発癌物質の蓄積年月でもあって、老人には癌も多くなってきます。
百才老人の死因を調べてみると、死に至る病をどの臓器にも見出せない、という場合が多いことが、明らかになりました。自然死、大往生と呼ばれる死です。魂がその器から離れた形です。さしずめ、「ちりはもとのように地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」(伝道者の書一二章七節)でしょうか。
タネのまま二千年も生き続けていた蓮などの植物と異なり、動物は年をとって必ず死にます。もっとも無性生殖をしているアメーバなどの一部の動物の年は数えることが不可能です。きっと発生以来生き続けているゾーリムシが、どこかにいるかも知れません。しかしながら、現在この世界で百二〇才以上の年齢のホモサピエンスはいません。
南エクアドルのビルカバンバには百五〇才以上の人が沢山いるということで、マゼスさんとフォアマンさんが本当かどうか調べたところ、八〇才を過ぎると彼等はみんなサバを読みはじめ、実際の年齢は高々百二〇才だったのです。残念なことでしたが、世界一の長寿者の泉重千代さんも一九八六年二月二一日百二〇才で亡くなられました。眠るがごとき大往生と新聞は報じていました。
この寿命は何が決めるのでしょうか。千年も生きる鶴や万年目の亀はいません。動物には各々種によって寿命が決まっています。ハツカネズミは三年、ミンクは十年、ニワトリは三〇年、ガラパゴスカメは百七五年、そしてヒトは百二〇年です。
このそれぞれの寿命がそれぞれの動物の細胞の中にプログラムされているものか、または細胞の増殖や活動の際のエラーの集まりの結果(エラーカタストロフェ)であるのか、専門誌でも未だに論争の種となっています。
ところが聖書には「人の齢は、百二十年にしよう」と、書かれています。ノアの箱舟のすぐあとで(創世記六章三節)。やはり、百二十才が人の寿命のようです。
ピラミッドでおなじみのエジプトはミイラの製作でも有名です。ミイラを作るには技術はもとより、気候や使う薬が重要な鍵になります。簡単に誰でもミイラを作れます、なんてことはないのです。
エジプトに売られたヨセフは、希有なる才能でエジプトの宰相になってしまいました。
祖国イスラエルから父や兄弟を呼んで、エジプトに住まわせます。ここでイスラエル人はいろいろな技術を学びました。会得した技術はあの長い祖国への旅、出エジプトの時に役立つのです。ミイラ製造技術もそのひとつです。ヨセフは彼の父ヤコブを、ミイラにしました。(創世記五〇章一節)四〇日間もかかるミイラ作りの作業は、ヤコブをカナンの地のアブラハムの墓に葬るためのものでした。十日ほどの道程でしたが、人間の体は死ぬとすぐに腐りはじめるので、腐らないようにミイラ化する必要があったのでしよう。
ヨセフも死んだ後に薬を塗られて、ミイラになりました。このヨセフのミイラ化が、創世記の最後の文章になっています。
ミイラとは医学的には乾性壊疽といい、組織に酸素がいかなくなって臓器が死ぬときに、腐敗菌感染がおこらず、加水分解酵素も働かず、乾燥したまま壊死に陥ることを指します。局所的なミイラ化はよく下肢におこります。閉塞性血管炎のため足の先に血液がいかなくなって、ミイラ化するのです。
中国のミイラは、三千年もの歴史を一挙に遡ってくれました。イスラエルのどこかでヤコブのミイラが見つかる日も、そのうちいつかくることでしょう。ヤコブのミイラは、きっと股関節が外れていますよ。あのヤボクの渡しで天使と相撲をとったときにはずされた、股関節ですから。
信仰と科学の間で常に対立していると考えられている問題は、ダーウィンの進化論でしょう。神が人間を創造したのか、人間が原始的な生物から進化したのか、という論争です。この二つの論点は必ずしも争われなければならない問題であるとは限りません。後者の原始的な生物をお造りになったのも神であり、進化を引き起こす変異も神の手の内にあると考えればいいのです。
しかし、聖書はまず冒頭で、「初めに、神が天と地を創造した。(創世記一章一節)」と宣言し、ついで人をお造りになったと記載しています。ですから本当の論点は神が人間を造ったのか、人間が神を造ったのかの、二点です。もっとも、聖書は後者を全然問題にしていませんが。
ノーマン・マクベスはファンダメンタルなキリスト教徒ではありませんが、次の二点で進化論は屑籠にいくであろう、と予測しています。
一.人間の出生は他の生物に比べて驚異的な変化を示すこと。
二.進化論の系統樹の枝先には生物が鈴なりなのに対して、幹の方は霧と神秘のベールに包まれていること。
ダーウィンは種の起源の第五版まで、熊が鯨に変わることを載せていましたが、第六版以降は削除してしまいました。いつの日にか、その他の進化も削除される可能性を持っているわけです。地球の年齢よりも永くかかるコウモリの翼の発達にしても、科学的に塗り変えられなければなりません。
自然のあらゆるところで見られる、創造主の手の業を、ダーウィンは驚異という言葉で置き換えました。突然変異は十の六乗分の一の確率で起こります。これはダーウィンがしばしば使った「おそらく(probably)」という九五%の確率で有意であるという数に比べると、六桁少ない頻度が突然変異なのです。創造主の存在は五〇%の危険率で推計学的に有意なのですが、進化論の方はと言えば、百分の一パーセントの突然変異が更に組み合わされて生ずる確率でしか起こらないのです。
「種の絶滅」という問題も、進化に逆行するものです。絶滅してしまったら淘汰は起こらないからです。
科学は過去の事実から演繹した現在を分析し、将来を透視することができます。しかし、科学の発達により、人間という生物種は、他の多くの種の絶滅に力を貸してきました。
科学を駆使して現在の病気の原因を追求し、その治療法を見つけ出す仕事についている者として、教会の礼拝と交わりは仕事の原点であることは間違いありません。教会生活は私にとって研究の基本にならなくてはならないのです。しかし、時として自分の利益に走ったり、自己が表面に出過ぎることがしばしばです。なんとか教会に連なり、自分を捨てることができないかが私の命題です。