最近、顎の骨が弱い子供が増えている、という報告が気になります。歯並びの悪いのは、顎の骨が発達していない証拠だそうです。確かに顎の張った人は少なくなりました。どうして顎の骨が発達しないのか、を考えてみましょう。
原因は沢山ありそうです。
一.インスタント食品のほとんどは軟かいもので、顎の負担にはならない。
二.好き嫌いが多く、堅いものは食べない。
三.口を大きく開けないで食べる事が美徳。
四.大口を開けて笑うことはない。
五.歯をくいしばる生活をしていない。
これらの条件が、顎骨を弱くした原因だと思われます。ところで顎の骨の大きさから、その動物の年齢が推定できるそうです。とくに人の場合、年をとると小さくなり、子供に近づきます。顎の骨は動物の生活にとって、重要な役割を演じています。食べる、飲む、話す、笑う、噛み付く、いろんな時に顎骨は必要です。
聖書の中では、こんな使い方が紹介されています。舞台はレヒ、あご骨の丘です。「サムソンは生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。(士師記一五章一五節)」 ろばのあご骨がいかに強いとはいえ、千人も打ち殺すのは大変です。刀などでもよほど強靭でないと、折れてしまうでしょう。でもご安心、動物の骨はパイプのように中が中空で、そこは骨髄という血液製造工場になっています。鉄の棒より鉄パイプのほうが、弾力があって強いように、骨もなかなか折れない様になっているのです。しかも主の霊が激しくサムソンに臨んだのですから、「鬼に金棒」、いやもっと強い「サムソンにあご骨」です。
先天性股関節脱臼という病気があります。女の赤ちゃんに多い病気です。早くみつけて早く治療をすれば完全に治ります。昔は治療法がわからなかったため、多くの人が苦しみました。
成人したあとはなかなか外れない関節が股関節です。天の使いと相撲をとってこの関節を外されたヤコブの場合は例外中の例外かも知れません。しかし、現在でも股関節の脱臼は屈強な青年、とくに柔道家やお相撲さんに稀ですがあるようです。
どうして天の使いはヤコブの股関節を外したのでしょうか。ヤコブのあまりにも熱心な祝福欲求が天の使いの苦肉の策を呼んだのでしょう。考えてみればヤコブは祝福取りの名人でした。「神は争われる」という意味の「イスラエル」という言葉がこの後ヤコブに与えられた名前です。現在でもイスラエルという国がありますがこの国をめぐって争いが耐えないのはこの名前のせいでしょうか。(創世記三二章二五節)
先天性股関節脱臼症はイタリアをはじめ地中海沿岸に多い病気です。ヤコブの相撲をとった所も地中海沿岸だったのは、けして偶然ではないでしょう。お母さんのおなかの中で祝福を受けた結果がこの病気かも知れません。
この股関節にはもう一つ大きな現代病があります。股関節の一部である大腿骨頭の壊死をきたす潜函病です。気圧が急激に変化すると、血液中の窒素がガス化して血管をつめてしまいます。これが大腿骨頭によくおきるのです。スキューバダイビングも大腿骨頭壊死をおこす危険性をもつスポ―ツで、浅いからといって油断すると五米位の海でも大腿骨頭壊死になる可能性を秘めています。
星野富広さんの詩と絵は私たちの心をうちます。なぜなら彼の信仰が基礎になっているからです。彼は体育の教師だった時に、クラブ活動の指導中誤って墜落、頚の脊髄、頚髄を損傷して手足の自由を失いました。しかし、彼は絶望の中から神を見出したのです。
ヨナタンの子メフィボシェテも五才の時に脊髄を損傷し、両足がなえてしまいました。ペリシテ人が、サウル王とヨナタンをはじめとするその子供たちを殺している知らせを聞いて、メフィボシェテの乳母が急いで逃げる時、落ちて足なえとなった、と書かれています。(Ⅱサムエル記四章四節)サウル王にかわって王となったダビデは、「あしなえ」を特別扱いにして嫌っていました。(Ⅱサムエル記五章八節)しかし、ダビデの側近ナタンの進言により方針を変えたのです。あしなえとなったメフィボシェテをダビデのもとにひきよせて面倒をみました。メフィボシェテのおじいさんにあたるサウル王のもとにいた僕ヂバの一族まで呼んでメフィボシェテの僕にして、エルサレムに住まわせたのです。メフイボシェテの心境はまさしく「その時、足なえは鹿のようにとびはね(イザヤ書三五章六節)」だったでしょう。
最近、米国ワシントン州のデイトン町立病院は、神経外科医のカール.カオ博士の手術で下半身麻痺患者の四三%が歩行能力を獲得した、という発表をしています。しかも事故から一四年以上たって手術を受けた患者もいました。現代の医学でも「足なえは鹿のようにとびはね、」が実現出来そうです。
メフィボシェテにはミカという子供がいるという記事から、彼脊髄損傷はかなり下の方の脊髄だったようです。(Ⅱサムエル記九章一二節)脊髄損傷でも頚髄と腰髄ではその症状がちがいます。星野富広さんの場合は一番重症だったと考えられます。しかし彼は「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。ピリピ二章一四節」という聖書の言葉によって、最初の一歩を踏みだし、現在の彼は口だけしか動きませんが、その動く口だけで神様を賛美しています。そして彼の画いた絵と文が、やはり同じような事故に会ったソ連の体操少女にも、励ましのメッセージになりました。
鞭打ち症で入院していた頃、そこの整形外科には骨折患者がひっきりなしでした。
創世記三章一五節で神様は蛇に対して「女の子孫が蛇の頭を砕き、蛇は、女の子孫のかかとにかみつく。」といわれました。もっとも蛇にはかかとがありませんからこの逆はありえませんが。
このところはキリストとサタンの戦いを、象徴しているとされています。しかしイエスキリストはかかとを砕かれるよりも、両足を折られるはずだったのです。当時の習慣では当然で死刑を執行された者は、足を折られて最期のとどめをうけました。死刑執行後に息を吹きかえさないためです。ルイ一六世の時代のギロチンはまだなかったようですので。
骨折すると骨の中の骨髄は脂肪組織と伴に血液の中に流れ込み、肺の小さな動脈に詰まり、その人は呼吸ができなくなって、死が確実におとずれます。(ヨハネ一九章三一ー三四節)さて、イエスキリストの十字架はどうだったでしょう。兵卒らは外の二人の死刑者の足を折りましたが、主イエスの足は折らずに、そのわきをやりで突きさしたと書かれています。その時流れ出た血と水は、たぶん心臓内にたまっていた血液と、極度の低タンパク血症の結果出現した、胸水だったようです。
何はともあれ足は折られなかったのです。世の罪を取り除く神の子羊の骨を折ってはならないのです。出エジプト記一二章四六節、および詩篇三四章二〇節の予言は、成就されました。
私たちもなにげなく、「今日は骨を折ったよ」などと口にしますが、実は体の中では大変なことがおきる可能性があるのです。くれぐれもご注意を。