マケドニアン・コールに応えて
浪江町国保浪江診療所 木村雄二 (日本福音自由教会 グレース宣教会 会員)
18歳 江戸川で受洗、医師の道
Hi-B.A.(高校生聖書伝道協会)の集会でネパールのハンセン病の子供たちの写真
建築家志望を医学部に切り替え
結核研究から肺癌研究へ病理医の道を歩み30年
1991年、UMN(ネパール合同ミッション)が全世界へクリスチャン病理医を公募
1992年にキリスト者医科連盟(JCMA)は「医学と福音」に「ネパールで病理医を求む」と広告を掲載、それを妻が見つけ、「確かに病理医とある、本当に珍しいわね!」
妻から私に手渡される。
これはネパールからマケドニアン・コール
ネパールの病理医
1993年、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)からUMNに派遣され、2000年まで癌の診断ができる病理医の育成
ネパールで阪神淡路大震災のニュース
2000年に帰国後、復興中の神戸を訪れる。
4年後ネパール人の弟子は訓練終了し、ネパールへ帰国する。
ネパールプロジェクト終了。
離島、僻地の医師
2017年3月カトマンズで南アジア病理学会、300人の病理医の中の200人はネパール人病理医
この学会の会長は愛弟子の一人、JOCSから援助を受けたゴピ・アリアール、現在パータン医科大学の病理学教授
2006年から長崎県佐世保市の黒島、宮崎県串間市の市木、長崎県五島市の椛島、黄島、赤島、大分県佐伯市直川など離島、僻地医療に従事。
東日本大震災の時は佐世保市黒島に一人の医師
被災地へ出向く事はできない、現地からの要請で物資の手配
福島からのコール
大分県佐伯市直川の僻地で勤務中、U-Tubeで福島県浪江町の馬場有町長の動画を見る。
町長の訴え、「浪江町の帰町解除には診療所が必要、そのために医者が必要」
「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』」使徒言行16章9節
3度目のマケドニアン・コール。
浪江町の課長にメール「71歳の爺、よろしい?」 返事は「OK」
「福島で仕事をしよう」と、妻と話し合う。
東京と筑波で使用した電子顕微鏡13台は福島の電力。
浪江町は7年前半、破壊されたままの状態。
人の姿はほとんどない。浪江町役場の敷地内に鉄筋平屋建ての浪江町国民健康保険浪江診療所。2017年の3月31日、東京電力福島第一原発事故に伴う浪江町の避難指示が、一部解除。
町唯一の医療機関、国保浪江診療所が完成、3月30日スタート。
浪江町国保浪江診療所
CT、内視鏡、救急外来処置室。帰還した人は当初300人、町民の1.5%。
高齢者が多く30、40代は仕事がないため、戻れない。親が戻れないと子どもも戻らない。
受診者は帰還した高齢者、仕事をする作業員や消防隊員。
1年間の診療はそれほど忙しくなく、その中で一冊、私の中学の先輩の大野晋の「日本語の起源」は目から鱗。南インドのタミル語が日本語に近く、7000Km離れた日本に言葉や習慣が渡ったかを研究した大作。(大野晋「日本語の起源」岩波新書 1994年)
私達もネパールから福島へ7000Kmの旅は神様の御計画
福島で日本語の歴史を楽しむ
2018年4月開校の「なみえ創成小・中学校」と保育園に28人の子供たちが戻ってきた。
浪江町は確実に復興しつつあります。
(2018年9月30日)
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