バンダケック

恒太郎はリンカンスクール(アメリカンスクール)に通学し始めました。毎朝スクールバスの待ち合わせ場所までの徒歩十分間、道路を歩くメークアップした象を見ながらの通学です。 二月十五日は彼の誕生日で、私達に対して特に心をかけていてくれるヒサ・アサオカが夕食に招待してくれ、デザートに恒太郎の大好きなチョコレートケーキを、さらにアイスクリームつきという心配りでした。久しぶりのアイスクリームに彼の目は輝き、喚声をあげておりました。

現在のゲストハウスでは彼は一番お兄さんであるため、九才の金髪の女の子レイチェルを始めやんちゃな男の子たち、十人の子供達に追いかけ回され慕われております。いちばん小さいメイガンは二才の女の子、まだしゃべれませんが、長い金髪でブルーの瞳、六〇-七〇㎝しかない小さな子で、恒太郎を大好き。いつもそばについています。実にかわいい子です。

恒太郎の誕生日の二日後みんなが誕生カードを持って集まってくれた日に私達は久しぶりにネパールにある材料を使い、六〇個のシュークリームを作り、彼の誕生日を皆で祝いました。げっそりしてきている彼らを何とか元気づけたいと思っていた私たちに取って恒太郎の誕生日はよい機会でした。

LOPの仲間には、恒太郎の誕生日にキャベツのケーキ、バンダケック、を作るからと言っておいたのですが、シュークリームは英語ではパフですので英語圏の人達は、シュークリームを連想しなかったようです。ネパールではフランス語直訳のでキャベツケーキ、すなわちバンダケックです。ネパールでシュークリームが食べれるなんて考えていなかったようです。口々にゴージャスと大変な喜びよう。恒太郎の事をいつも思ってくれているお礼の気持ちが通じたようで私たちにとっても嬉しい一時でした。

それにしても焼き上がった直後に予定よりも二時間早い停電が訪れ、ぎりぎりセーフでした。卵もクリームも滅菌しなければならず、かなり緊張したのですが、それだけに感謝でした。 彼も幼い子の面倒を良くみるようになり、少し成長しました。

またゲストハウスでは各々が語学研修に励むだけの仲間で終わりたくないという思いから自然発生的に毎週水曜日四時半から一時間賛美と祈りの時を持っています。基本的にはネパール語による賛美歌三から四曲で始まり、英語による賛美歌五から六曲の間に聖書朗読や証が入る、という内容の物です。最後には四名づつに分かれて祈りの課題をあげ、全員が祈ります。ネパール人の牧師や他国からの伝道師に参加してもらったりと、自由な形式で会を持っています。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。詩篇一三三篇一節」

レストラン スニータ

欧米の人達は日本食が非常に健康にいいという信仰があり、特に語学研修グループの仲間達はわが家から招待を受けるのを今か今かと待ってます。 一月にネパールに来てゲストハウスの食事に耐えていた時、夕食に招待して下さった方々を今度は我が家のディナーに招待しています。 昨夜のカナダサスカチュワンへ帰国寸前の外科医ピーターブロックと奥さんのアーリーンと、ご両親がサスカチュワン出身のネパール語研修グループの仲間ブルースオニールと奥さんのスーと一才半のドミニク、計五人を招待したデイナーのメニューを紹介致します。 オードブル:レバーペースト、チーズ(牛乳からの手作り)、紅茶づけプラム、枝豆、 スープ:椎茸とトウモロコシのスープ、アスパラガス添え、 メインディシュ:肉じゃが、冷や奴(ハウスの本豆腐)、ゆかりと青海苔ご飯 サラダ:アスパラガス、いんげん、キャベツ、人参、ラディシュ(庭での収穫物) (胡麻だれ、またはマヨネーズとたまねぎと醤油のドレッシング) デザート:プリンとバニラアイスクリーム(生クリームが細菌を持っている可能性があるためをそのまま使用出来ないのでかなりの苦心作) フルーツ:マンゴーとパイナップル、日本茶 「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように。コロサイ四:一七」

ローストビーフとヨークシャプディング

いつものようにお昼ご飯を食堂横の職員用ガーデンで食べていたら、イングランドからきている薬剤師のジョが、「昨日はライスと海草(ひじき)が入っていたわね、で今日はパンと、そのソーセージはやっぱり日本からの物?、日本人の食事はどんなのが典型的?」と矢継ぎ早の質問でゆっくり食事が出来ません。我々のお弁当は「海草ランチ」で、座っている椅子が「海草ベンチ」になってしまいました。考えてみると日本は世界各国の美味しいものをたくさん取り入れていてグルメ天国です。「ジョ、日本にはフランス料理店、イタリヤ料理店、中華料理店、スイスフォンデュの店、ジャーマンビヤレストラン、ロシアピロシキ専門店みんなあるよ、それぞれ競争して美味しい料理を作っているのさ。ところでイングランドの料理はなんだったっけ?」「勿論、ローストビーフにヨークシャプディング!」結局あんまり日本ではポピュラーではないようです。 ローストビーフで思い出しましたが、スウェーデンウプサラ大学のヒラーダル教授と鎌倉山で食事をした時、「こんなうまいローストビーフはヨーロッパにはない」と絶賛していましたからローストビーフでも、日本は世界一でしょう。ヨークシャプディングに関してはいいじゃがいもがあればいい訳で、ネパールには美味しいじゃがいもがたくさんありますので素晴らしい物が出来そうです。しかし残念な事にヒンズーの世界では牛肉を食べる習慣がありません。いや、食べてはいけないのです。従っていろいろな店を探し回りましたが、美味しいビーフはネパールでは諦めざるを得ませんでした。

お料理教室

四月に入って数日熱帯夜が続くと、窓の外に蛍が飛び交い始めます。しかし蚊も増え始め、本格的夏です。五月はUMNの年次総会があり、これはネパール中に散らばっているミッショナリーが一同に会して聖書の学び、リクレーション、カトマンドでのショッピング等を通して神様との縦の交わり、お互いの横の交わりを強くする時です。 今年は我々の仲間のローナケント副会長から、知珂子にお料理講習会の講師のポストが回ってきました。アシスタントは階下のリン・グレクソンです。二人で力を合わせてシュークリームの作り方を披露するワークショップで、知珂子が作り、リンが説明をするという具合です。 カンファレンスの前に郵便で応募を募ってみたところ、なんと申込人数が予定の倍の三〇人。ワークショップは二回に分けて行う事になりました。オーブン二台をフルに使ってまさに熱気ムンムンです。四名の男性参加者も交えて楽しい講習会でした。 さて試作品に群がった子供達を追い払うのにも一苦労。講習会に参加した大人しか味見は出来ません。子供達はお母さんから作ってもらえるからです。しかし子供達に混じって、味見がしたそうに何回も顔をのぞかせた事務局長のエドメッツラーには知珂子も負けました。リンと目くばせで相談の上、そっと渡しました。歳から計算しても彼はお母さんからシュークリームを作ってもらえそうにもありませんでしたので。エドは幸せそうな顔でシュークリームを頬ばったに違いありません。「求めなさい。そうすれば与えられます。マタイ七章七節」でした。

旅人とごぼう

十月に入って、きれいな夕焼けのヒマラヤを見る事が出来るようになりました。これからがネパールのいちばんいい季節です。ヒマラヤも沢山その姿を見せてくれますので、トレッキングにとっては格好の季節です。 日本では秋刀魚の季節でしょうか。秋刀魚苦いかしょっぱいか。思い出しても唾液が出てくる季節。カトマンドは牛が多いせいか、我々も反すうの習慣が身につき、日本で食べた美味しい食事を、記憶の中で反すうしています。 しかしこの時期病人も多く、特に日本人の病気が多い時期でした。自然気胸、マラリヤ、赤痢、肝炎などでパタン病院に来院された日本人のお世話等、病理医以外の仕事も増えました。特に入院された日本人に取って病院のネパール食は我慢が出来ないようですので、家から日本食の差し入れをしたり、モーニング珈琲や紅茶で元気をつけてもらいました。 幸いな事に名古屋の愛知保健センターで研修を受けた看護婦さん、ハリマヤグルンさんが付き添ってくれたり、ご飯を作ってくれたり本当に感謝しました。彼女は岩村昇先生のおかあちゃんホームでも働いていた方です。私達にも本当に良くしてくれるクリスチャンです。旅人をもてなす、介抱するという事はこの事なんだな、と彼女から沢山教えられました。 ところで日本人の入院患者さんに何かいいものがないかな、と野菜市場を探していましたら、ありました、ありました、ごぼうが。「これはネパール語で何というの?」と店の人に聞いたら「ごぼう」という答が帰ってきました。ネパールにはありません。日本のごぼうです。早速、きんぴらごぼう、ごぼうサラダ、ごぼう入りの煮こみ、そして真打ちは牛肉のごぼう巻き。 自然気胸さんもマラリヤさんも元気になった上に、神様からの素敵なごぼうのプレゼントに感謝、感謝です。

反すう

日本では秋刀魚の季節でしょうか。秋刀魚苦いかしょっぱいか。思い出しても唾液が出てくる季節です。カトマンドは牛が多いせいか、我々も反すうの習慣が身につき、日本で食べた美味しい食事を、記憶の中で反すうしています。 カナダの会社で働いている日本人のお子さんの診察をしたり、パタン病院に入院した自然気胸の若い日本人女性の相談に乗ったり、JICAの家族のお子さんの病気のお世話など、病理医以外の仕事も増えてきました。 長野の中学生の一行十四人がネパールの家のホームステイやネパール見学の旅に来ていたのですが、その内の一人が風邪を引き、診療をたのまれました。彼が治った後、JICAの専門家のお宅で彼らと一緒に日本料理をご馳走になってしまいました。おでんも魚のすりみが入っていますし、おいなりさんに信州そば、そしてきんぴらごぼうとなかなかこちらでは食べることの出来ない日本食です。材料はほとんどタイ・バンコクから買ってくるという事です。 私たちもごぼうを種から蒔いたのですが、発芽率が極端に悪く、一本だけ育ったなぁと思っていたら葉っぱばかりで肝心の根の方は短く枝分かれしていて食べるところがありませんでした。どじょういんげんも円筒状にはならず、皮の厚さは変わらないのですが平たい絹さやのような形になり、日本では見たこともないどじょういんげんが出来ました。正に、所変われば品変わる、です。

こんにゃくの話

送って頂いたこんにゃく粉、これを頂いたレシピ通りに試してみました。大成功!微に入り細にわたってのレシピでしたので失敗はありません。ネパールにきて約二年目にして成功。我々歓声をあげ、まず刺身こんにゃく、そして煮〆め、そしてこんにゃくステーキ、明日は何にしようかと心が弾みます。近所に住むJICAの家族にも四丁ほど差し上げました。 夏休み一時帰国の前は体調がすぐれず、トライ出来ないままに帰国してしまいました。そしてネパールに帰ってきてからは、夏に休んだ分だけ病院の方で頑張らなければなりません。その間、日本人の旅行客がパタン病院に次々と入院、これらの方々のお世話に駆け回るという日々でしたから全く時間が取れず、ここ数日やっと時間が取れ、待望のこんにゃく作りにチャレンジ出来たと言うわけです。最後の石灰を混ぜ込むところではタイミング良く主人が台所に顔をのぞかせてくれましたのでタッチして男性の力で混ぜ込んでもらいました。 それは美味しいこんにゃく、冷蔵庫を開ける度に水に浸ったこんにゃくに思わず笑みがこぼれます。みんなでメニューを考えたり、とても楽しい日々になりました。 朝晩の冷え込みもはかなりきびしくなってきましたが、真昼の太陽はじりじりと照りつける十月。ネパールは収穫の季節、もみをむしろに広げて乾かす風景がそこここで見られ、人びとの喜びの顔と共にもみは黄金色に輝いています。ダサインとティハールというネパールの大きな祭が二つも続く喜びの季節です。風の強い日はヒマラヤが悠然と姿を現しますのでトレッキングの旅行客がさらに増え、街中は華やかです。 そして十月三〇日、大阪からのロイヤルネパール航空の直行便が始まりました。関西新空港から約九時間でカトマンド到着です。私達は出会う人々に育てられているような気がしていますので、これからもどんどん勉強の機会が出来そうです。

タイの休暇と水上レストラン

私達三人で恒太郎の春休みを利用してタイのバンコク、プーケット、そして人が殆どいないピーピー島へ行きました。普段は落ち着いて読書も出来真せんでしたので、この際と海辺の木陰で各々五、六冊はじっくりと読破でき感謝でした。出かける時は本以外は入っていなかったバッグが帰りは買い込んだ味噌を除く日本の調味料類、薄力粉、たらこ、チリメンジャコ、するめ、そして各々の衣類と靴、特に恒太郎の成長の早さに先を見越して買いだめしてカトマンドに戻って参りました。ネパールではゆっくり買い物をする時間もない状態でしたからホッと一安心しております。 ところでバンコクでは河村さん御夫妻にはこの上も無いおもてなしを戴きました。このご夫妻はバンコク滞在が長いクリスチャンで第三回ワーカー会議の折には一週間という全期間を台所に立って二八人分の賄いに全神経と精力を傾けて下さった。聞くところによると回を重ねてのご奉仕との事、ワーカーたちを始めJOCS事務局面々の知る所のようです。そのワーカー会議での御礼の意味で一声電話をしただけでしたのに、私達の宿泊先バンコククリスチャンゲストにすぐに駆けつけて下さり、三千人を一度にまかなえるという水上レストランに案内戴き、料理を食べながらタイ舞踊が見る事が出来ました。しかも巨大レストランですからローラースケートで料理を運ぶ少年達を見ては、恒太郎は勿論私達もビックリ仰天、舞踊もあれ程に美しく、すべてに満喫させて頂いたのでした。何と御礼を申し上げたら良いものか判りません。

スウィートピーは甘い?

秋に蒔いたスウィートピーが三月の半ばから咲き出しました。ネパールのスウィートピーはなぜか赤紫が多いのですが、家の庭は日本から持ってきた種ですので、ピンクや白が沢山です。 乾季の水の少ない季節に良く育ってくれました。花も柳沢理子さんに、「このスウィートピー、マメー、ていう感じの花ですね。」と、言わせるほど、きれいに咲いてくれました。 近くに住むニュージーランドからの宣教師で、チベット難民に木工技術を教えているアンドリューとジャンは、スウィートピーの花束に大喜び。花の少ないこの時期に、ネパールに三五年看護婦さんとして働いて米国へ帰ろうとしていたジョイス・ルーミニと、息子のティモティ、彼のフィアンセ、アリスンを家のランチに招待しましたが、その時もスウィートピーの花束は大活躍しました。 もう一つのスウィートピーの活躍をお話ししましょう。タイではお米が余り美味しくなかったのですが、それに比べてダック・グルンさんがネパールで作る日本米、ササニシキは大変美味しく、さらにお値段も手ごろで、ネパール標準米の約二倍の一キロ五〇円です。タイから帰って美味しいネパール米でカレーライスを食べようという事になったある夕方、ふと、庭のスウィートピーの豆のさやが沢山目に入りました。「これ食べられないかな、白いご飯にスウィートピーまぜて。」「美味しいかも、スウィートピーというくらいだから、甘いんじゃない?」という事でその日の夕食は実験的にスウィートピーご飯。それが何とも美味しいのです。「花を十分楽しんで、実を食べて、スウィートピーの国に行ったら死刑だね。」なんて言いながら、次の日もスウィートピーの豆をせっせと摘んでいました。「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。(ルカ十二章二七節)」

家庭菜園

歩む会の皆様がお持ち下さった野菜の種で、裏の畑が現在見事な野菜で満ちています。法蓮草、蕪、野沢菜、高菜、春菊、小松菜、大根、そして春のための絹サヤ豆、これらで土がすっかり隠れて深い緑一色となりました。近所の日本人の方々にもお分けして喜んで戴いております。大根はハリハリ漬け、野沢菜も高菜も二回目の漬け込みが終わりました。暮れからお正月へかけての中高生ワークキャンプの為にもこの漬物が必要となります。「地は主のいつくしみで満ちている。詩篇三三篇五節」 最近ネパールもカトマンドゥでは宅地開発と緑の減少が進んでいます。わが家の周囲もこれに漏れず、左隣の空き地には、うっそうとした数㍍丈の草木繁る珍しい野鳥たちの憩いの場があったのですが、アッというまに開墾され、宅地にする前の畑にと変貌してしまいました。もちろんの事鳥達は止まり木を失い、全く姿を見せなくなってしまったのです。右隣に堂々とそびえていた見事な紫の花を咲かせるジャカランダの大木も切り倒されてしまい、私達は両脇の自然を一挙に失い落胆の中にあります。二期目に赴任の折にはもう同じアパートには住まないつもりです。