明智光秀

京都の本能寺で信長を焼き払ってから光秀は安土桃山城から駿府城へ急ぎ、徳川家康と会った。息子の南光坊を紹介し、次の世、江戸幕府300年の計画を練った。お江、浅井長政の三女、1595年秀忠に再婚、千姫を頭に家光・忠長、和子など2男5女を儲けた。お江は家忠の操縦、父は美濃国の斎藤利三、母は稲葉良通の娘、春日局を乳母にした家光の教育。江戸城大奥の礎を築いた人物、家光を支えた。朝廷との交渉の女性政治家、徳川政権の安定化に寄与。土岐家の子孫。さらに家綱、綱吉、吉宗と続くであろう江戸の時代の構想が語られた。